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SPECIAL REPORT from RKKCS News Letter須藤修 教授インタビュー
〜行政DXとAIを語る〜前編Report

2025-07

須藤 修氏

中央大学国際情報学部教授
中央大学ELSIセンター元所長
東京大学名誉教授 須藤 修

金子 篤

株式会社RKKCS
代表取締役社長 金子 篤

当社では顧客向けサービスの一環として、国・地方のDX動向から、ビジネスパートナーのソリューション、最新のITトレンド、さらには現地視察を交えたDX先進国の事例をご紹介する「RKKCSニュースレター」を定期配信しています。

今回は2025年7月号として、当社 代表取締役社長の金子篤が中央大学の須藤修教授へ、日本の公共情報政策やデジタル戦略、AIの未来について伺ったインタビュー記事「須藤修 教授インタビュー〜行政DXとAIを語る〜前編」をスペシャルレポートとして特別掲載いたします。

須藤教授は経済学者としてキャリアをスタートし、その後、情報学者として公共IT政策の黎明期から、LGWANなどのネットワーク政策、マイナンバー制度、地方のIT政策に関わり、地方はもちろん、日本の情報社会システムの構築に尽力していらっしゃいました。

世界のデジタル政府や最先端のAI技術などの動向を調査する視察団体の団長を務められており、今回のインタビューは2025年3月に訪れたアメリカ東海岸(ワシントンD.C.、ボストン、ニューヨーク)の視察中にお話を伺ったものです。

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金子:

今回の視察ツアーはアメリカ東海岸のワシントンD.C.、ボストン、ニューヨークですが、本日は、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学があるボストンに滞在しています。アメリカITの最先端の地でAIの話などを伺いたいと思います。

須藤教授、よろしくお願いします。

須藤氏:

よろしくお願いします。

須藤教授とRKKCS

金子 篤

金子:

まずは、須藤教授と当社RKKCSとの接点からお話を伺いたいと思います。時期としては我々が熊本を中心に自治体基幹系システムを作っていた2000年頃、ちょうど平成の市町村合併の時代だったかと思います。当社はそれまでオフコンやクライアントサーバシステムを中心に開発していましたが、このままでは市町村合併で大手にすべてシェアを奪われてしまうという危機感がありました。当時はまだ珍しかった、基幹系をLinuxやJavaといったオープンスタンダードな仕組みで作り、ベンダーロックインのないソフトウェアでシェアを拡大しようとしていました。そんなときに須藤教授が何かの講演で、「RKKコンピューターサービス(当時社名)という会社が、Javaでオープンスタンダードなウェブシステムを作る唯一の会社だ」と当社名を紹介してくださったと伺いました。

須藤氏:

はい、当時から御社の噂はよく耳にしていました。当時アメリカのサンマイクロシステムズを訪問した際に、御社もオープンスタンダードの考え方などを情報収集しているという話を聞きました。「日本の企業でもそこまでやっているところもあるんだな」と感動したのを覚えています。その後、実際に基幹系を作り上げその成長や活躍を見ていると、順調に市場シェアを伸ばしているようで、取るべくして取ったシェアなのだと思います。

金子:

当社は元々九州の市場でのみシステム展開をしていましたが、ウェブシステムの開発をきっかけに九州以外の市場でも受け入れられるという手応えを感じました。多方面から注目していただき関東にも進出し、次から次へと引き合いをいただきました。しばらくしてこの視察ツアーも始まり須藤教授との接点も生まれました。

近年の須藤教授の活躍は存じていますが、もしよろしければどのような経緯で公共情報政策に関わるようになったのかからお話しいただけますでしょうか。ITの専門家だと勘違いしそうになりますが、先生は経済学がご専門だったかと思います。

須藤氏:

私は元々島根県の山間僻地の出身で、幼少期は貧しい生活をしていました。高度経済成長期でしたが、地元の人はほとんどは出稼ぎに行っており、子供心に「なぜ家族みんなで暮らせないのか」と疑問に思っていました。そこには社会構造的な問題があるのですが、その疑問が後に学者の道に進むきっかけとなっています。本当はあまり学者になろうとは思っておらず、大学卒業後は地元に帰って、親の勧めもあり生まれ育った地元を良くするために島根県庁へ入ろうと思っていました。しかし先ほど述べた構造的な問題を解決するのであれば、県庁ではなく大学院へ行きしっかりと政策の研究をするべきだと思いました。親には反対されてしまいましたが。

金子:

1970年代の後半ですね。日本の地方はどこも似たような状況だったと思います。そこで経済を専門にされたのでしょうか。

須藤氏:

ええ、日本の経済や政治、法律、哲学も含めて勉強しました。勉強は面白かったです。大学院2年生の頃から論文が論壇時評などに取り上げられるようになりました。そのお陰もあって、就職もとんとん拍子に進みました。

金子:

経済専門の須藤教授がITの分野と関わることになったのはなぜでしょう。

須藤氏:

大学院を卒業後、静岡大学で6年間勤務し、その後、ちょうど東京大学に戻る頃ですが、「島根から始める新しい日本づくり」という長期計画構想に関わることになりました。いろいろな方が呼ばれて、同郷の元国交相事務次官の毛利さん、島根や京都の大学の教授、学生などが参加しました。その中で私はITを担当することになりました。

金子:

1980年代ですね。大学ではワークステーションなどが使われていたかと思いますが、経済や政策とITに接点がなかった時代ではないですか。

須藤氏:

大きなビジョンの中で日本とITのような話はあったと思いますが、地域政策とITという話はなかったと思います。まだパソコンが出始めの頃で、NECのPC-98やMS-DOSなどといっていた時代です。私自身は郷土のためになるし、若いころから思い描いていた「地域創生」の一端に携われるということで、喜んで引き受けました。県庁の職員や中央省庁の官僚になったとしても、そうした経験はできなかったでしょうし、大学院に行って学者になったのは良かったと思いました。

金子:

そのプロジェクトはどうなりましたか。

須藤氏:

とてもうまくいきました。整備した島根大学近くの松江市ハイテクパークに、多くの地場IT企業や、東京からも多くの企業が来てくれました。出雲空港との連動もあり、非常に高い評価を受けました。それをきっかけに地域政策とITに関わるようになっていきました。

金子:

そこから1990年代に入って国のシステムに関わるわけですね。

須藤氏:

そうです。この長期構想の評判から当時の自治省(現総務省)からお声がけいただき、LGWANの実証試験の委員長を務めました。LGWANの立ち上げを見て、こうやって行政のシステムを変えられるのだという実感を持ちました。社会構造を変えることで、当時の日本は最先端を行っていたと思います。

金子:

そしてインターネットの登場ですね。1995年くらいが転機だと思いますが、このころADSLや光ファイバーなどのインフラはアメリカにも負けていない最先端だったと思います。

須藤氏:

この頃から、自治省からは地方のネットワーク整備や電算化などの基本構想の立ち上げ、通産省(現経産省)からはインターネット基盤政策やネット決済、それに関わる暗号の話が来ました。他にもPKI(認証基盤)の立ち上げにも関わりました。暗号の話は安全保障に関わる話なので、緊張感がありましたね。我々は暗号の技術は決済基盤だと思って使っていましたが、やはりインターネットも暗号基盤も軍事技術なんですよね。それもあり、セキュリティの重要性を鑑み、警察庁でサイバー警察にも関わることになりました。

日本のデジタル公共政策とデジタル敗戦

須藤 修氏
左上: 視察先の日本大使館にて須藤教授(右)と弊社代表金子(左)、 右上: インタビューを行ったアメリカIT最先端の地ボストン、左下: 学術都市ボストンには書店なども多く立ち並ぶ、 右下: 活気あふれるニューヨーク マンハッタン島の街並み

金子:

先ほどの話にも出ましたが、1990年代、特にインフラ整備においては、日本は他の先進国の中でも早い段階で取り組んでいましたし、うまくいっていたのではと思っています。ADSLの整備や光ファイバーなどのインフラは世界最先端だったと記憶しています。

その次の段階として、電子入札、電子申請などのサービス、いわゆる電子自治体、電子政府といった社会インフラの普及がe-Japan構想の中にもありましたが、その領域についてはやはりヨーロッパに劣ってしまっていたように思います。

2000年代に入り、日本と諸外国のITに関する整備に大きな差が生まれ、どんどんやっていこうという欧米諸国に対し、石橋を叩いてさらに渡らない日本との差が、後に言われる「デジタル敗戦国」につながっているように思うのですが、須藤教授はこの状況をどのように分析されますか。

須藤氏:

クラウド化が言われ始めたのは2006年、2007年あたりですよね。そのずっと前からサンマイクロシステムズが「The network is the Computer」という概念を言っていましたが、日本はそれがなかなか理解できなかった。私自身は2000年代初頭にはクラウドに移行すべきだと言ってましたが、どうしてもセキュリティを懸念する声がネックになっていました。日本は世界の趨勢とは逆のガチガチに固めたセキュリティで、オンプレミスで行くんだという方向性ができてしまっていました。

しかしネットワークにつなぐことのできないシステムでは、国全体でのデータ流通や電子政府はつくりようがありません。この考え方はスマホが普及する最近まで変わりませんでした。やはりこのあたりは、当時日本経済にとって重要な立場にあった産業界の主張が強く影響していたのではないかと考えています。加えて行政サイドの知識不足も相まって日本のクラウド化、電子化は遅れてしまいました。

金子:

当時はスマホがなく、パソコンだけで個人認証やセキュリティを確保するのが簡単ではありませんでした。

須藤氏:

あの頃は、インターネットもワークステーションもまだおもちゃだと思われていて、日本では学術界も産業界も基幹系システムに採用するという発想は全くありませんでした。

今では当たり前のインターネット上の取引において、暗号化してクレジットカード番号を送って、決済するという仕組みが必須なことは分かっていましたが、採用されませんでした。

ではアメリカの状況はどうだったかというと、サンマイクロシステムズが金融システムのクラウド化を始めていました。日本の大手金融機関も理屈では必要性は分かっていたものの、このアメリカの構想に乗ってしまうと「アメリカの金融に日本の金融が完全屈服するモデルだ」ということで認めたがらなかった。日本だけではなくドイツもやはりアメリカには乗れなかった。最後はリーマンショックに巻き込まれてサンマイクロシステムズもなくなってしまいましたが、アメリカでは早い段階からインターネットの有用性が分かっていたということです。そうこうしているうちに、アジアの金融拠点は東京ではなくシンガポールになってしまいました。

金子:

クラウドの時代になってからは、アメリカ以外からも様々な成功事例が続々と出てきています。一昨年の視察で訪問したデンマークの番号制度やトルコのスマートシティなど、海外の成功事例には大変驚かされました。各国で国民IDが次々と登場して、社会保障や納税に活用しているエストニアやベルギー、オーストリアなどヨーロッパの事例も非常に興味深かったです。須藤教授は日本のマイナンバーカードにも関わっていらっしゃいますよね。

須藤氏:

そうですね。ヨーロッパの基本戦略は、まずカードで国民IDを作り、そのあと徐々にネットワークにシフトしていくという考え方です。日本も国民IDカードを作るところまでは考えていましたが、それをネットワークにつなぐという考えはありませんでした。

マイナンバーカードの構想段階で、私は総務省の検討会の委員長をしていたため意見を求められました。せっかく作るならネットワークを前提にすべきだと思い、「マイナンバーカードは財務省管轄の納税者番号機能だけでなく、厚労省管轄の社会保障制度のための機能も入れるべきだ」と意見しました。当時は民主党政権でしたが、これに災害対策のための機能も入れて法案を通すことができ、結果的に良いものができたと思っています。

金子:

災害と言えば、我々も熊本地震を経験しています。マイナンバーカードが口座情報と紐付けられるようになったので、着の身着のまま避難しても、マイナンバーカードさえあれば最低限の給付金などを振り込めるようになりました。ゆくゆくは、生活に必要な情報と連携して、いわゆる公共サービスメッシュの世界が訪れるのを期待しています。

須藤氏:

東日本大震災の教訓もあって、オンラインで名寄せができることの重要性が理解されたのだと思っています。マイナンバー制度以降、日本の行政のIT基盤は良いビジョンを描くことができていると思いますので、あとはこの基盤の上にきちんとシステムが理解できる人たち、学術界や民間の人たちが入って、アプリケーションを作っていけばうまく回っていきます。

金子:

私たちもこのツアーに参加して感じることは、やはり「産官学」の組み合わせというのがイノベーションを生むキーポイントになるのかなということです。IT先進国と呼ばれる国ですと、国が民間の力を強くさせるようなシステムや大学内で産業育成させるための体制、スタートアップを支援する仕組みが整っているように感じます。このような構造が国力につながっていると思うのですが、日本だとこれらの組み合わせはなかなか実現しません。私はこのままだと日本は世界に取り残されてしまうのではと心配になりますし、国、企業、大学のコラボレーションはもっと活発化しないといけないと思います。須藤教授が考える産官学の理想的な姿として、どのようなご意見をお持ちですか。

須藤氏:

日本は第二次世界大戦の影響もあって、個人情報とかプライバシーとかを権力側がコントロールすることに警戒感があり、非常に敏感になっていると思います。きちんとITを使ってアメリカもヨーロッパもプライバシーを守りつつ生産性を上げているのですが、日本の世論はそうなりませんでしたね。そうこうしているうちに、政治の側も、学術の中でも文系と理系が分断してしまったんです。本来は政治や経済、技術はみんな相互作用をしながら発展していくので、産官学の距離は近くあるべきなんです。あと、特に理工系の研究にはお金がかかるのですが、官から学はお金が出ているけれど、産から学へは良いお金の流れができていないですね。

後編ではAIに関する世界の最新動向や、2040問題を控える自治体がAIを活用していく方法。さらに近未来に登場すると言われる汎用AI(AGI)の登場が世の中をどう変えていき、AIがもたらす新たな倫理観や民主主義の未来についてまで語られています。お楽しみに。

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